「幸せにならなければいけない」という呪縛

「幸せになりたい」

「幸せでありたい」

とは誰もが思うことだろう

でも、多くの場合、それが叶わず

「幸せでないな」

「不幸だな」

と、悩ましく思うのではないだろうか

「幸せ」を追うのは辛い

なぜなら、「幸せ」自体が曖昧だからだ

はっきりしていない

自分の幸せが何なのかわからない、という人も多い

わからないのも当然だ

幸せって、実体はない

条件でもない

いわば幻想のようなものだ

だから

追い求めても追い求めても

捕まえられない

だから

私は幸せを追うこと、

幸せになろうとすることを勧めません

それはもしかしたら苦しむだけかもしれないからです

実体のないものを追っているわけですから

曖昧な、よくわからないものを追っているわけですから

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そもそも

幸せって、ならなければいけないものでしょうか

そう思い込まされるきっかけとして大きいと思っているのが

憲法の

『幸福追求権』

です

これを聞くと、

まず、「幸福」というものが確固たるものとして存在し、

そしてそれを皆「追求」すべきである、

と、解釈するのではないでしょうか

ーーー

これが不幸の始まりかなとも思うのです

幸福という概念さえなければ

不幸という概念も生まれなかったのに

ーーー

果たして原始人の皆さんは、

「幸福になりたいなあ」

なんて思ってたでしょうか

動物の皆さんも

「幸せになるぞう」

なんて思ってますかね

現代の人間だけが、

「幸せにならねば」という呪縛にかかっているのではないでしょうか

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