現代人は、ヒマだ
だから、「幸せとは?」なんて考えて
「幸せじゃないな」と不幸に気づいたりする
忙しい時はそんなこと考えないだろう
忙しい時に「今の自分、幸せかな」なんて考えない
そんなことより、目の前のことだ
頭をいっぱい使うことが目の前にあれば
「幸せかな?不幸だな」なんて考えなくですむ
そもそも、考えなくて良いことかもしれない
幸か不幸か、なんて
そんなの、どちらでもない
そんなの、概念でしかない
自分で勝手に決めたくて決めてるだけ
そんなものは、本当は最初からない
幸も不幸も、無い
ただの、言葉遊び、思考遊び
暇人が考えだした遊び
そんなものに本気になる必要はない
でも、どうしても、時間があると、考える
考えたくなる
「幸か不幸か」
きっと、「幸だ」という結論を出して、
安心したり、優越感を感じたりしたいだけなんだろう
「幸せだな」なんて感じたところで
エゴを満足させるだけなんじゃないか
そもそも、別に“幸せ”なんて、人間に必要なかったんじゃないかな
幸せでないけど不幸でもない
というかそんなのどうでもいい
ジャッジする必要性がない
幸せを求めてるのは、
幸せを気にしてるのは、
エゴなんじゃないか
エゴの傲慢さが、
幸せを求めてやまない
幸せを気にしてるのは、エゴだけ
暇だと、エゴが登場してくる
だから、暇にならないように
もしくは、暇でもエゴが登場しないように
悟りの境地に行くしかない
コメント