人からの評価を恐れるなとか気にするなとか
物事を判断するなとか
善き方へ判断しろとか
言うわりには
読者を評価してないか?
そんなんじゃだめだぞ、と。
読者を判断してないか?
そんなんじゃだめだぞ、と。
だから、読んでると、気が滅入る。
希望が見えそうで、実はダメ出しも相当される
だから、げっそりする
欲しいのは、読むべきものは、哲学者の言葉ではないのかもしれない
そんな、「論」はどうでもいいのかもしれない
そうじゃなくて
勇気の出る言葉をかけて下さい
前向きになれる言葉を聞かせて下さい
明るくなれる言葉を教えて下さい
それだけでいいんです
論理なんて、どうでもいいんです
何派でもないんです
論理をこねくり回してる暇はないんです
今すぐ、元気になりたいだけなんです
今すぐ、元気にね
哲学者の言葉を聞いても
何の解決にもならないってことは
若い頃に、十分味わったはずだ
何を、今さら
・・・・・・・・・・・・
教えてほしいなんて思っちゃだめだ
答えを求めたりしちゃだめだ
『問われてるのは、自分の方』だった
人生を、どう生きいるの?
幸い、自由に選択できる、私の人生、
自由に、好きに、どう“演じる”の?
それだけだよ
それだけ
好きに、好きに、好きなように
・・・・・・
もしかしたらすでに“好きな”ように演じてるのかも
これがすでに好きな演技なのかも
つまり、この現時点での私を、好きに演じてる自分として
“受け入れ”ればいいだけのことなのかも
これがまさに、“ありのままの自分を受け入れる”ってこと?
セルフ・コンパッション?
自分で自分を受け入れられなかっただけ?
今の自分を批判して然るべきと思ってただけ?
これで、これで、いいの?
これで、本当に、いいの?
こんな、こんな、自分で?
ダメダメな、自分で?
・・・・・・
いいの、かもね
これでも
好きじゃないような気がしてただけで好きなのかも
こんな自分
好きな演技、ちゃんとしてたのかも
ただ、それを酷評してただけかも
そんなんじゃ、だめだ、だめに決まってる、と。
・・・・・・
もう、変えようか、そんな“酷評家”
自分で自分をいじめてるだけ
正直、思うところはあるけど、
一旦、
認めてみようか
『良し』と、認めてみようか
これが「自分にOK出してみる」ということか
好きだけど嫌い、っていう、混沌とした状態から抜け出そう
私はやりたくてやってる
こんな自分を
こんな自分が大好きです
好きなようにやってる
好き放題、やってる
私のエゴは酷評するような人物像だけど
そのエゴは、どこから来たんだろうね・・・
もう、これ以上、自分を責めるのはやめよう
自分にダメ出しするのはやめよう
(どうしてこんなことするクセがあるのかはわかっているけど!)
恨んだってしょうがない
ただの、出来事。
離れて、なるべく忘れていればいいだけ
最悪の親や姉に“恵まれ”て、
でも
『それでどうするか』だよ
『私はそれで、それから、そこから、どうするか。自由に。』
だよ
それでも私は自由なんだよ
もっともっと、本当は自由なんだね
誰も、教えてくれなかったけど
もっともっと、本当は自由なんだ!
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