すべてはエゴのせいだった

『エゴ』と聞くと、

ああ自分にもあるな、いっぱいあるな、だからダメだな、

エゴまみれではずかしいな、エゴイストって思われてたらどうしよう、

エゴイストなんて最悪だよね、わがままってことだよね、自己中ってことだよね、

自分で自分をエゴイストなんて思ったことなかったけど、実はすんごいエゴイスト、

すんごいわがまま自己中野郎なのかも私、あーあ・・・

なんて思う。

嫌な言葉で、なるべく聞きたくないと思ってた。

“本当は”エゴイストである自分に、向き合いたくないというか。

でも、『エゴ』って誰にでもあるらしい。誰でも持ってるらしい。

生まれてから数十年の間にたんまり蓄えた、偏見のコレクションなんだそう。

わがままとかそういう意味じゃなくて、一種のフィルターのようなもの。

すべて人は、自分のフィルターを通して物事を見てる。

色眼鏡をかけて、見てる。

すべてはその色眼鏡が反応したこと。

私じゃない。本当の私じゃない。

だから、私自身は、傷つかなくて良いと。

無傷ですよと。

エゴが色々反応してるだけ。

あ、このメガネだとこんな風に見えるんだなー、

と、私自身は静観していい。

メガネです。あなたじゃない。

そのメガネの存在に気づけばいいだけなんです。

外せるもんなら外してください。

手放してください。

また、いつの間にか、色眼鏡かけちゃってるでしょう。

そしたらまた気付けばいいんです。

お、色メガネね、かわいい私の色メガネちゃん。

ハイハイ、ちょっと向こう行っててね。バイバイ。

この、エゴ、フィルター、色メガネといわれるもの、

これ、『思考』かも。

建設的な思考じゃない、いわゆる妄想に入る『思考』。

妄想とか、思考とかを、“手放しましょう”とか言われても、

かなり難しいなと感じていた私。

でも、『エゴを手放しましょう、メガネを手放しましょう』と言われれば、

あ、うんうん、手放す、手放す、って思えるな。

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