自分が求めているのは“幸せ”じゃないのかも。ふと思った。
人は幸せを求めて当然、
幸せを求めて生きなければならない、
人生は、幸せなものにしなければならない、
みんな、幸せになりたいんだ、
人間は、幸せになるために生まれてきてる、
だって幸せじゃなければ、不幸になる。
幸か、不幸か、二択だ。
・・・いやいや、そんなわけがあるかい。
そもそも、“幸せ”の定義があやしい。
こんだけ人々に語られておきながら、
いまだ全く定義の定まってない言葉なんて。
だからあやしい。だから“幸せ”なんて本当はないんじゃないか。
目に見えないし。
人間の想像物に過ぎないんじゃないか。
そんなあやふやで曖昧なものだから、
みんないつまでも、『幸せってなんだろう』なんて考えてる。
そんなのいつまで考えたって答えが出るわけがない。
“幸せ”が幻なんだから。
幸せが幻なら、不幸も幻だ。
不幸も、ない。
幸せもなければ不幸もない、この方が気楽でいいじゃないか。
不幸を気にしなくていい。
不幸になることを恐れなくてもいい。
自分はもう絶対に不幸にはならない、と思ったら、なんだか嬉しくないか。
アンドレ・ジッドの言葉を思い出す。
幸福になる必要なんかないと、自分を説き伏せることができたあの日から、幸福が僕の中に棲みはじめた。
アルベール・カミュもこう言ってる。
幸せを追い求めている限り幸せにはなれない。生きる意味を探している限り生きることはできない。
幸せ、幸福、なんて謎の言葉に振り回されるのは、もうやめよう。
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