『嫌われる勇気』の本当の意味
名著『嫌われる勇気』を読んだ時、
嫌われる勇気とは、“他人から”嫌われる勇気だと思った。
他人から嫌われてもいいんだよ、
人目を気にせず自分のやりたいことをやればいい、
結局、それしかないんだよ、と。
でも、その「他人」の中には、「自分」も入ってた。
人は、「自分」から嫌われることをもっとも恐れているのではないだろうか。
自分で自分を認められない、これがもっとも辛いことではないだろうか。
いわゆる自己嫌悪。
他人から何か言われたり、非難されたりした時は、
必ずしも自分を苦しめるとは限らない。
たとえ何か他人に言われても、
ああそう?何言ってんの?
で済ませられる時もあるだろう。
しかし、自分で自分を非難する時、
なかなか無視はできないのではないだろうか。
他でもないこの自分自身が自分を嫌ってる。
最悪のことだ。
それ本当に“自分”?
ここで考えて欲しいのは、
「自分で自分を」と言ってる時点で、「自分」が2人いるということだ。
もうひとりの自分って、誰?
それは、「エゴ」だろう。
エゴ、生まれてから何十年もかけて、丁寧に積み上げた偏見のコレクション。
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